2018.07.13
川嶋あいさんが語る“お母さん”の姿 〜前編〜『歌を通して生き方を教えてくれた』
『あいのり』主題歌となった『明日への扉』(I WiSH名義)や『My Love』、卒業ソングの定番『旅立ちの日に・・・』、アニメ映画の主題歌『compass』など、多くの人の心に残る楽曲を世に出し、現在もシンガーソングライターとして活躍し続けている川嶋あいさん。
17歳でCDを5,000枚手売りし、渋谷公会堂ワンマンライブを実現、19歳で路上ライブを1,000回達成という偉業を成し遂げました。
そんな川嶋さんは、幼少期に生みの親と死別したことから児童養護施設で育ち、養子として迎えられた家庭でも10歳のときに育ての父を、そして16歳のときに最愛の育ての母を亡くしたという過去を持ちます。
多くの困難や挫折にも負けずに、まっすぐに先を見つめる彼女のルーツを作ったのは、まぎれもなく育ててくれた母親の存在――。
今回は、そんな川嶋さんに“ママ”“お母さん”の存在について語っていただきました。
母は常に明るく、つらい顔を見せなかった。見せたのはたったの4回だけ
――川嶋さんを育ててくれたお母さんって、どんなお母さんでしたか?
一言でいうと『豪快豪傑』という言葉がぴったりな、1回会ったら忘れられないようなインパクトのある、明るい母でしたね(笑)。
仲良くなった人をすぐに家に招いて手料理をふるまったり、おごったりするタイプで、幼い頃は、近所の人とか音楽教室の先生や生徒さんなど、とにかくたくさんの人が家に集まっていました。
みんなで話をしていても、中心にいるのはいつも母。一度話し始めると止まらなくなってしまう人だったので、子どもながらに「ほんっとにお母さん、うるさいったい!」っていっつも思っていましたね。「もう~いい加減少しは落ち着いてよ」ってちょっと恥ずかしく思いつつ見てました(笑)。
そんな母は、父が亡くなって生活が苦しくなってからでさえ、私の前では常に明るく元気に振舞っていました。母の悲しそうな顔や落ち込んだ姿を見たのは、たったの4回だけ。
父が亡くなったときと、私が養子だということを知ってしまい問い詰めたとき、私が上京したとき、上京後に悩んで電話で弱音を吐いたとき、この4回だけでした。
私が養子だということは、生涯告げる気がなかったようで、私がたまたま書類を見つけてしまって問い詰めたときは、本当に悲しそうな顔をしていたのを今でもよく覚えています。
いつも笑顔で迎えてくれる母。いつの間にか母の笑顔を見ることが喜びに
――歌手を目指すきっかけもお母さんだったそうですが、そのときのことを教えてください。
自分では全く覚えていないんですけど、引き取られた当初の私は毎日泣いていたらしく、その私をどうにか元気づけたくて、母はいろんなことをやらせてくれたそうなんです。習い事も、たくさんの体験レッスンに連れて行ってくれて…。
その中の1つが音楽教室だったんですが、他では泣いてしまっていた私が、その音楽教室では全く泣かずに、レッスンが終わるまで楽しそうに笑顔でいたらしく、その笑顔が母いわく「本当にいい顔」だったそうなんですね。
音楽教室の先生にも「いい声だね」と褒められたこともあって、そこで「この子に歌を続けさせてあげよう!」と母が強く思ったのがきっかけで、歌のレッスンや、コンクールに積極的に連れて行ってくれるようになりました。
――お母さんに促されてはじめた歌が、川嶋さん自身のやりたいこと・夢に変わった瞬間というのはあったんですか?
う〜ん…。夢に関しても、背景にいつも母の存在があったように思いますね。
私は元々すごく人見知りな性格なので、コンクールや大会に出ても賞は取れないし、それどころか緊張して最後の1行しか歌えないこともあったんですけど(笑)、でも終わった瞬間に「がんばったね!」と迎えてくれる母の笑顔を見ていたら、いつの間にかその笑顔を見ることが自分の喜びになっていたんですよね。
母の笑顔に会いたいからまた明日も歌おう、という思いで続けていたと思います。
“母のため”から“自分のため”へ。母が歌を通して生き方を教えてくれた
――お母さんの期待を重荷に感じたり、辞めたいと思ったことはありませんか?
辞めたいな、と思ったことは何度もあったんですけど、小さい頃から歌と共に自分の人生がはじまっているので、この道のりがずっと未来も続くという確信がどこかにあったんですよね。
もちろん、母の気持ちに応えたいという思いが一番強かったんですけど、それ以外の選択肢を選べないくらい、音楽をやっていく責任と使命感があったように思いますね。
――3歳からこれまで、心折れることなく続けてこれたのはすごいことだと思いますが、何か原動力のようなものってあったんでしょうか?
一生懸命がんばれば1年後にはいい結果につながる、というのを自分で感じられるようになったのが大きかったんだと思います。
当時、周りには賞を総なめにしている子や、早々にデビューしていく子がたくさんいたんですけど、それに比べて私はそんなに歌もうまくないし、才能もないことを自覚していました。それでも母の思いは強くて、いつも「何でこんなに下手なのに応援してくれるんだろう」って思っていたくらいなんです。
でも、下手なりに一生懸命がんばって練習していると、1年後にはいい結果になっていたりするんですよね。上京する前に、はじめて歌で優勝したこともあって、がんばっていればいずれ成長する、自分自身が前に進めるという感覚を自分で感じられたというのが、とても大きかったように思います。
「路上ライブ1,000回達成!」もそうだと思うんですけど、苦しかったりもがいたりしながらも、がんばって続けることで違う結果が見えてきたり、希望の兆しが見えたりするタイミングが訪れるので、それを繰り返していたという感じです。
勇気を出して前に進んでがんばってみる、という生き方が好きなのかもしれません。
――はじめはお母さんを喜ばせるためにがんばっていたことが、徐々に「がんばれば1歩前に進める」という“自分事”に変わっていったということですね。
そうですね。いつの間にか、気づいたら変わっていましたね。
困難にどうやって立ち向かっていくかということを、歌を通して少しずつ学んでいった気がしますし、今思えば、母が歌を通してこういった生き方を教えてくれた、学ばせてくれたんだな、と思います。
上京前に音楽漬けの日々を送ったり、演歌歌手としてデビューしつつも挫折したり、いろいろな苦労をしてきたからこそ歌を続けているわけで、楽な道だったら多分途中でやめていたと思いますね。
母と共に歩んだ道!デビュー15年の集大成『川嶋あい 15th Anniversary BEST』サイン入りCDをプレゼント!
お母さんと一緒に夢を目指し、単身で上京、苦しい日々を乗り越えて見事デビューを果たした川嶋さんですが、今年で活動15周年!
6月27日(水)にベストアルバム『川嶋あい 15th Anniversary BEST』が発売されました。
2003年からリリースしたすべてのシングル曲が収録されていて、まさにmamaPRESS世代!の懐かしいときを思い出すことができるあの曲や、大人になった川嶋さんの最新シングルまで、全30曲が収録された内容の濃い作品となっています。
今回はこちらのCDに川嶋あいさんの直筆サインを入れて、3名様にプレゼントしちゃいます!
※応募期間:2018年7月13日(金)~2018年7月23日(月)
※当選者の発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます。
終始まっすぐ前を見据えてお話しをする川嶋さんは、ぶれない軸を持ったとても強くて美しい女性でした。
後編では、具体的に川嶋さんのお母さんがどんなサポートをしてくれたのか、お母さんのここが嫌だった!など、デビューまでの苦しい道のりについて語っていただきます。
そちらもお楽しみに♪
川嶋あいさんプロフィール
1986年生まれ。福岡県出身。
幼少期から歌をはじめ、数々の歌のコンクールでグランプリを受賞。15歳で単身上京し音楽活動を開始。2003年にはI WiSHのaiとして人気番組「あいのり」の主題歌「明日への扉」でデビュー。2006年からは本格的にソロ活動をスタート。
代表曲は「旅立ちの日に・・・」「My Love」「compass」「とびら」「しおり」など。
6月27日にデビュー15周年を記念したベストアルバム『川嶋あい 15th Anniversary BEST』を発売。育ての母の命日である8月20日に毎年おこなっているワンマンライブを今年も昭和女子大学 人見記念講堂にて開催。
公式/川嶋あい My Room
mamaPRESS編集部
mamaPRESS編集部です!“「ママ」であることをもっと楽しみたい!輝きたい!”そんなママたちのために「ママ」が知りたい情報だけをお届けしています。mamaPRESSを読むことで、心に...
詳しくはこちら